=MAGAZINE= 珈琲ブレークサイト
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読売・日本テレビ文化センター代表取締役社長 長谷川聖治 氏(上)
はせがわ・せいじ。群馬県生まれ(58歳)。東北大学理学部数学科卒。1987年4月読売新聞社入社。新潟支局、科学部、甲府支局、バンコク特派員、科学部次長、科学部長、編集局次長、事業局次長、北海道支社次長、よみうりコンピュータ取締役副社長を経て、2022年6月から(株)読売・日本テレビ文化センター 代表取締役社長に就任。
4月19日、都営地下鉄の『清澄白河駅』(きよすみしらかわえき)に藤原稔カメラマンと降り立った。地上に出ると、青空が広がり、夏日の暖かさに上着を脱ぐ。
東京都江東区清澄1丁目。隅田川の沿岸にある訪問先である、読売・日本テレビ文化センター(よみうりカルチャー)本社を目指して歩く。
途中には、江東区登録史跡『曲亭馬琴(きょくていばきん)誕生の地』という立て看板が目に止まった。二人で足を止め「ここが『深川が生んだ江戸後期を代表する戯作者(げさくしゃ)』が生まれ育った場所ですか」と藤原カメラマンとともに、看板に見入った。
新緑に映える、清澄庭園の広大な敷地の脇を歩くが、4月なのに太陽は容赦なく頭を照りつけてくる。約束の時間まで少しある。しばらく庭園内の木陰で休憩することにした。その奥の木立の間から見える深川図書館に老若男女が吸い寄せられ入館していく。
藤原カメラマンが「小林さん外観を撮影したいので」と、読売新聞の江東工場がある読売江東ビルに向かって足早に歩き出し、3分ほどで到着した。撮影の後、そのビルのインターホンで6階に案内され、エレベーターでよみうりカルチャーの長谷川聖治代表取締役社長が執務を行う本社オフィースに入った。
2023年4月1日に『=MAGAZINE= COFFEE LESSON HOM 』が、ブログ『=MAGAZINE= 珈琲ブレークホーム』を創刊し、その主要記事の一つ『インタビューVisit(ビジット)』の初回のゲストとして、よみうりカルチャーの株式会社 読売・日本テレビ文化センター 長谷川聖治代表取締役社長を迎えたものである。この企画は当代表が、独自のカルチャーを展開している企業・団体・個人にお願いして、実際に現場に出向き指導を乞う企画である。
(株) 読売・日本テレビ文化センター本社 6F
小 林 一(以下 小林) 「インタビュー・ビジットの記念すべき第1回目は、株式会社 読売・日本テレビ文化センター(愛称『よみうりカルチャー』)の、長谷川聖治 代表取締役社長にお願いいたしました」。「これから長谷川社長さんに『よみうりカルチャー』について根掘り葉掘りお伺いしたいと思います」
長谷川聖治(以下 長谷川)「ようこそ遠いところへおいでくださいました。よろしくお願いします。」
〜 よみうりカルチャー 100歳生涯学習時代へ飽くなき挑戦 〜
🟢 キャラクター チャチャ丸 🟢
小 林「いただいた長谷川社長のご名刺に、よみうりカルチャー公式キャラクター『チャチャ丸』とありますが…..」
長谷川「可愛いでしょ」と微笑む。 「チャチャ丸の産みの親は粘土キャラクターデザイナーの『おちゃっぴ』さんです。世界中で人気のある犬種で老若男女に好まれるキャラクターをと、探し続けてたどり着いたのが豆柴犬だったそうです」
小 林「ぱっと見は、リスと思ったのですが、リスにしては尻尾と耳が違うなと。そうですね、可愛い豆柴犬ですね」
長谷川「おちゃっぴさん曰く、『豆柴犬は好奇心が強くて何にも興味を示す性格。受講生の皆さんが色んな講座にチャレンジ精神を持って挑戦し続けるイメージ』と、『よみうりカルチャーが、広い分野でカルチャー活動を行動力豊かに展開するというイメージ』を、 重ね合わせたとのことです。私どものカルチャーセンターのイメージやコンセプトを良く表現していただいたと思っています。弊社は、1980年にスタートしました。創業30年に社名の愛称を『よみうりカルチャー』と決め、創業35周年に公式キャラクター『チャチャ丸』を2015年10月に誕生させました」
🟢 よみうりカルチャーの使命 🟢
長谷川「よみうりカルチャーは、現在読売新聞の関連会社です。ご存じと思いますが、読売新聞は、1874(明治7)年の新聞創刊以来、スポーツ、教育、文化など国民の生活を充実させる社会貢献活動を幅広く手がけてきました」
長谷川「皆様のおかげで、来年は創刊150年を迎えますが、文化・教育への貢献の歴史を簡単に説明しますと、1962年には、読売グループ3社で読売日本交響楽団(読響)を設立しました。世界的なアーティストが歴代の常任指揮者を務め国内外で活躍する一方で、小中学校や地域、それに医療施設で、コンサート活動を行っています。新聞社が、交響楽団を持っているのはあまり例がありません」
長谷川「2014年には、教育というのは学校だけでなく、企業、自治体などと連携して進めていくことが重要であるとの認識から『読売新聞教育ネットワーク』構想を打ち出し、その事務局を新聞社内に設置しました。大学での講座などのほか、次世代人材を育てるため『よみ とく チカラ』を合言葉に、活字文化を中心とした、教育発展に尽力しています」
長谷川「スポーツ事業では、マラソンのほか、駅伝、野球、サッカーなど各種スポーツ大会を開催しています。最近では、eスポーツの発展にも貢献しています」
小 林「文化活動の振興では、囲碁・将棋などが有名ですね。カルチャー事業もその流れの中での活動でしょうか」
長谷川「はい、その通りです。1970年代後半ころから、生涯学習が叫ばれて、カルチャーブームが起きました。全国の新聞や、教育産業などがカルチャー事業に乗り出しましたが、読売新聞も、先ほど少し触れましたが、1980年12月に株式会社読売文化センターを設立しました。本社は、千代田区大手町の読売新聞本社ビルに置きました。センター第1号は、翌1981年には千葉県船橋市にオープンした『京葉』事業所(センター)。続いて荻窪開設。1982年は日本テレビが参画したことにより、社名を株式会社読売・日本テレビ文化センターと改称。同年に浦和を開設しました」
小 林「産経新聞社のカルチャー事業への進出は早かったですね」。「ここで整理しますと、産経新聞が1965年に株式会社産経学園を、朝日新聞社は1974年に朝日カルチャーセンターを、設立しましたね。それから1980年に、毎日新聞が株式会社毎日文化センターを、読売新聞がよみうりカルチャーを設立しました」。「これで新聞4紙が社会的貢献事業から生涯学習事業へ独立させたことで、新聞社が生涯学習時代のリードオフマンとなりましたね」
小 林「行政では、全国でいち早く生涯学習都市を宣言したのは、1981年9月北海道の真狩村(まっかりむら)が『生涯学習の村宣言』(議会議決)を行い、続いて同年10月に山梨県の韮崎市(にらさきし)が『韮崎市生涯学習都市宣言』(議会宣言と大会宣言)を行いました。1980年前後は、来たるべき生涯学習社会に向けて、日本が本格的に動き出したと言えますね」
長谷川「そうです。全国的にとても強い生涯学習熱が広がったということですね。弊社も1984年に八王子、大宮を開設。この頃、大阪、九州などにもセンターが開設され、その読売新聞系列カルチャーセンターの全国組織『読売文化センターユニオン』が発足します。翌年の1985年 には『北千住』『町田』『横浜』『自由が丘』と、立て続けに事業所1、センター8を開設しました。もちろん読売新聞が直営するセンターもありましたが、フランチャイズ方式でオープンしたところもけっこうあります」
長谷川「お話したように、物凄い勢いでセンターが拡大しましたが、それでも受講生が押しかけて、どこかしこもすぐ定員オーバーし受講待ちが出るという大盛況でした。当時は1987年のJR民営化に伴って駅ビルができ、その最上階にカルチャーセンターがありました。講座を受講して終わると駅ビルで、受講生同士が買い物を楽しんだり、お茶をしたりして帰宅するパターンが多く見られたと言われています。受講生は学びの場とともに仲間づくりの場として謳歌していたようです」
小 林「今も昔もカルチャーセンターは学舎と社交場であるということですか。当時はどんな講座がありましたか」
長谷川「当時の講座は、語学、趣味、書道、茶道・生け花、舞踊、教養、健康などですが、1980年代は、円高などが追い風となって、日本人が海外に出かけるアウトバウンドがブームになった時代で、語学、特に英語が大人気講座でしたね」
小 林「ダイヤモンド・ビッグ社が1979年に、『アメリカ編』と『ヨーロッパ編』で創刊した旅行ガイドブック『地球の歩き方』がブレークして海外旅行ブームになりました。その要因は何だったと思いますか」
長谷川「高度成長で日本人が豊かになったことが底流にありますね。さらに1970~80年代というは、石油ショック以降、日本人の省エネ技術は世界から賞賛され、その技術は電化製品、車などの商品として世界に広がった時期です。 こうした技術力などにより、日本の国力、国際競争力が高かったのです。1985年のプラザ合意による円高もプラス要因に働きましたね。そうした状況の中で、1980年代には団体旅行の値下げ競争が激しくなり海外旅行が過熱。1986年には海外渡航者数が約550万人に達し、運輸省は5年で達成すると『テンミリオン計画』を発表し、1990年には1年早く1,000万人達成しましたね」
小 林「高度成長、例えば1968年のいざなぎ景気(1965年~1970年)によって日本のGNP(国民総生産)がアメリカに次ぐ世界第2位の経済大国になり、経済的にも潤って貯蓄もできましたからね。アメリカ財政赤字と日本財政黒字の貿易摩擦解消のプラザ合意は約230円台から1年で150円台に進みましたからね。それが海外旅行には大変な追い風になりましたね」
長谷川「そのとおりですね。中国とも国交が正常化し、中国との経済交流も活発になりました。1980年には中国の開放政策により一般募集での中国旅行が認可され、パッケージツアーが旅行会社で一斉に商品化されたことで、中国語講座も人気になりました」
小 林「それに、中国領土内で撮影されたNHK特番 シルクロード12集は大ブームになりましたね。1980年4月から月1回で12回、1年間放送されましたからね」
長谷川「テレビ番組の放送と言えば、日本で2003年NHKのBS、2004年NHK総合テレビで放送された『冬のソナタ』は韓流ブームの火付け役となりました。K-POP(ケイ・ポップ)のアイドル出現も、韓国語講座もブームとなりました」
長谷川「生涯学習が過熱する中、1989年から2000年まで12センター開設し、破竹の勢いで増設してきました」
長谷川「しかし、カルチャーブームも当然、下火を迎えます。2004年以降のセンター開設はありません。替わって、2004年荒川区立生涯学習センター、2006年には国営昭和記念公園教室(東京・立川)の自治体からの運営受託です。それに2017年東京本社3階に大手町スクール開設となっています」
小 林「それは、無理からぬ話だと思います。日本経済は1991年のバブル経済崩壊で資産価値が下がり不良債権問題が生じました。それで金融機関危機が起こり1975~1990年の国民総生産(GDP)は年率4.0%でしたが、1990~2001年のGDPは年率0.8%と大幅に低下したと言われています。2000年にITバブル崩壊がありましたが、いざなみ景気(2002年~2008年まで73か月続いた好景気)でGDP年率は平均1.7%まで盛り返したと言われたものの、 2008年のリーマンショック、2011年の東日本大震災、消費増税、このような中でのデフレ経済、人口減少と高齢化の進展などが複雑に相まって経済は低迷に終わりました。こうした不透明な経済不安がゆとりをそぎ落とし生涯学習にも波及したのではないでしょうか。それに追い討ちをかけたのが2020年の新型コロナウイルス感染症ですね。日本国内でも猛威を振るい日常生活をも一変させましたね」
長谷川「そうですね。経済成長、国力などとカルチャー事業とは関係はあると思います。2020年の新型コロナウイルス蔓延は、カルチャー事業最大の危機となりました。緊急事態宣言などで、センターが入る駅ビルなどが閉鎖し、カルチャー教室を開けなくなったのです。少しずつ、感染が落ち着き、受講者は戻っていますが、コロナな前の2019年と比較するとする7割強です。回復は難しいと思っています。従来の対面だけの講座のあり方を検証して、奇しくも創業40周年を迎えた年に、オンライン講座『よみカルライン』をスタートさせました」。 「確かに、リモート学習は、センターが身近にない人に本当によかったと思います。どこでも学習できるからです。いまよみうりカルチャーもオンライン講座を増やそうと努力しています。対面とのハイブリッドが多いです。ただ、対面になれた人は物足りないようですね。やはり仲間とともに学習するというのは、魅力の一つと言うことだと思います」
小 林「コロナで、センターも数が減ったようですね」
長谷川「コロナ禍の中で、センターが減少したのは事実です。現在、直営センターが都内に荻窪、北千住、八王子、大森、恵比寿、錦糸町。神奈川に横浜、川崎。千葉に柏。埼玉に川口と10か所。またフランチャイズが都内に自由が丘。埼玉の川越と2か所。これらを合わせて12センターまでに統廃合いたしました」
小 林「講座数は、どのようになりましたか」
長谷川「2023年4月期講座のご案内が用意してありますのでご覧ください。年間10,000講座ぐらいの案内は出していると思います。ただ、人数が少ないと、開設するわけにはいきませんから、ご要望の多いものを見つけたり、新たなニーズを掘り起こしたりするクリエイティブな発想が問われますね」
小 林「1番上にある錦糸町センターの講座を拝見すると、『文芸・教養』『外国語』『絵画』『書道・ペン字』『茶道・生け花・フラワー』『邦楽・舞踊』『マナー・おしゃれ』『趣味・暮らし』『音楽』『ダンシング』『スポーツ・健康』『工芸』『手芸』『料理』『キャリアアップ・実務』『ジュニア・親子』『野外』17分野で700を優に超える講座ですか。凄い数ですね。驚きました。カルチャーセンターたる所以ですね」
小 林「カルチャーセンターの使命は何ですか」
長谷川「学びを通じて、生きがいや仲間を得て、生活に潤いを与えることではないでしょうか。好奇心をくすぐることも使命でしょうかね」
小 林「それにしても、間口が広くて驚きです」
長谷川「ここらで、コーヒーブレークといたしましょうか」
🔴 コーヒーブレーク 🔴
小 林「ありがとうございます。5月29日(月)は公開講座『サイエンス読書カフェ』があるのですね」。 「案内役に元日本科学技術ジャーナリスト会議会長の小出重幸さん、ゲストに鎌田浩毅さんで、『知っておきたい地球科学~ビックバンから大地変動まで~』が解き明かされるのですね」
長谷川「鎌田先生は、日本を代表する火山学者、地震学者です。通産省を経て97年より京都大学大学院人間・環境学研究科教授を経て、現在は京都大学名誉教授・特任教授をされておられます」
長谷川「鎌田先生は、赤いジャケットのようなもの着て、聴衆の関心を惹きつけ、わかりやすい、インパクトのある話ができる学者です。こんな芸当ができるのは、そう数多くはいません。エッジが効いた講座といえるでしょう」
小 林「エッジが効いている講座ですか。良いですね。最先端を行く講座。個性的な講座。先鋭的な講座、このフレーズ良くわかります。さらに、読書カフェという名前も良いですね。手前味噌ですが、私どものサイトは珈琲が縁で繋がるうんちくサイトです」
長谷川「エッジが効いていますか」
小 林「はい、私どものサイト『珈琲Basic Knowledge』で展開している最中ですが、カフェの原型は諸説ありますが、伝説上で守護聖人の弟子シェーク・オマールがイエメンの山中でコーヒーの実を発見して、医術でこの実を使って多くの人を助けモカの聖人に列されました」
小 林「その後イスラーム教で秘薬として珍重され、やがてトルコのイスタンブールに伝わりカフェで提供され、それがヨーロッパに伝わりカフェが進化して文化的な交流の場として発展するというストーリです」
小 林「「この『サイエンス読書カフェ』の響きは、リラックスして自然科学で楽しく交流できる雰囲気が醸してされていますね。大変、申し訳ありません。暴走してしまいました」。「コーヒーブレークの後で、『エッジが効いた講座』についてご指導いただけますか 」
長谷川「そう、いたしましょうか」
次回5月31日(水)予定は、第2弾『エッジが効いた講座』について、長谷川社長にご指導いただきます。
(文・タイトル写真 小林 一)(カメラ 藤原 稔)