第5回 インタビューVisit 中 野  成 将 氏(2)

中 野「そのほかに、基礎専門教育科目の西洋音楽史は第一に音楽のコミュニケションを取る社交の場では話題の宝庫です」

小 林「そもそも歴史は諸説ありますし、また古い譜面や古文書などの実証資料の新たな発見により、歴史の定説が変わる要素がありますからね、そうなれば世界を駆け抜ける大ニュースですよね」

 中 野「そうですね。西洋音楽史は諸説ありますが、小林さんの西洋音楽史は何世紀から何世紀までの認識ですか」

小 林「私のイメージは17世紀から19世紀までの期間ですかね」

中 野「その根拠はなんですか」

小 林「私にとっての西洋音楽史はクラシック音楽です。微かな記憶ですが、西洋音楽の3原則のリズム・メロディー・ハーモニーがルネッサンスで成立してから、バッハなどの作曲家が誕生した17世紀から19世紀のシューベルトまでと予想しました」

中 野「小林さん、クラシック音楽は何世紀から何世紀にかけての音楽かというと、一つ目の説は紀元前6世紀から21世紀までの音楽。二つ目の説は18世紀から19世紀にかけての音楽。三つ目の説は16世紀から20世紀。その他にもいろいろな説があります」

小 林「二つ目の説に、かすりましたね。なんと、この話題だけでも場が持ちますね」。「中野さん設問の西洋音楽史についてレクチャーいただけますか」

中 野「そうですね。西洋音楽史というと、特にクラシック音楽の歴史をいいます。現在の定説は紀元前6世紀の古代西洋音楽から中世西洋音楽、ルネサンス音楽、バロック音楽、古典派音楽、ロマンス派音楽、印象主義音楽、近現代音楽で、紀元の古代から21世紀の現代までの音楽の変遷というのが大方の見方です」

小 林「特にクラシック音楽という、『特に』が味噌ですね」。「古代のギリシャ、ローマからですか」

中 野「そうですね。古代西洋音楽といいますと、紀元前6世紀~6世紀の音楽です」

中 野「古代ローマでは、音楽は娯楽で、ラッパは戦争で合図や兵隊を励まして勇気づける軍楽器として活用されていたといわれ、それ以上の発展はなかったとされています」。「一方、古代ギリシャ音楽は芸術として捉えられており、祭祀・結婚式・演劇・戦争などで活用され効果が発揮されました。この音楽は中世にグレゴリオ聖歌と融合しました」。「古代ギリシャとローマ音楽は、いずれも西洋音楽の源流となっているといわれています」

中野「中世西洋音楽は、紀元6世紀~15世紀で、キリスト誕生後のローマカトリック教会では9世紀頃からグレゴリオ聖歌やポリフォニーなどが発展したと同時に宮廷や庶民の世俗音楽も発展しました」

小 林「簡潔にグレゴリオ聖歌とポリフォニーとは、…..」

中 野「グレゴリオ聖歌とはローマ・カトリック教会で用いられている単旋律(メロディ)、無伴奏の宗教音楽です。ポリフォニーは複数の声部が、それぞれ独立した旋律を持つ多声音楽のことです」

小 林「声部はパートのことですね。他旋律の同時的な絡み合いですか」

中 野「次のルネサンス音楽は15世紀~16世紀になります。古代ギリシャやローマの復興。ミサ曲やミサ曲以外のポリフォニーによる宗教曲のモテット、シャンソンなどですね」

小 林「ルネッサンスは、14世紀~16世紀までに欧州全域に起きた、ギリシャとローマの古典文化の再興で個性の尊重などを主張して、近代文化の礎となったルネッサンスのことですね。すると音楽は100年遅れでルネサンス運動の影響が及んだということですね」

中 野「それからバロック音楽は、16世紀後半~18世紀前半 絶対王政の時代です。オペラ、カンタータ、オラトリオや交響曲、協奏曲などです。バロック音楽はドラマチックな音楽といわれています」。「主な作曲家は、バロック音楽を統合したバッハ、後期バロックの巨匠ヘンデル、後期バロックの著名な音楽家ヴィヴァルディなどです」

小 林「そう、バロックとは16世紀末~18世紀半ばまでの、動的で劇的な表現、豊かな装飾、力強さ、光彩、豊富な彫刻などが挙げられる、バロック建築・バロック文学・バロック絵画など多岐にわたる、芸術や文化の様式がありますね」

中野「はい。そのあとの古典派音楽は18世紀後半~19世紀初頭となります。この時代は市民革命を経た社会情勢のなかで、庶民的で分かり易いバランスのとれた音楽が発展します」。「主な作曲家は、古典派の3大作曲家、古典派器楽形式を確立したモーツァルト、第一章のソナタ形式を完成させたハイドン、ロマン派への道筋をつけたベートーヴェンなどです」

中 野「そうしてロマン派音楽が19世紀~20世紀初頭まで続きます 。感情や想像力を重視するようになります」。「主な作曲家は、ロマン派初期を代表するシューベルト、ビアノの詩人と称されたショパン、ロマンス派オペラの頂点であり楽劇の創始者ワーグナーです。また、西欧的な伝統ロシア古典主義音楽を完成させたチャイコフスキーなどが活躍した時代ですね」

中 野「19世紀末~20世紀初頭までは印象主義音楽が到来します。これは曖昧で夢幻的で革新的な役割を果たしたといわれています」。「主な作曲家は、自由な音の響きを重視した印象派と呼ばれる作風を確立したドビュッシーと、ピアノ曲の難曲で有名な”夜のガスパール”を作曲したラベェルなどです」

中 野「いよいよ20世紀~21世紀の近現代音楽。これは伝統や規制にとらわれない実験的で、前衛、ジャズ、ポピュラー、エレクトロニカなどの音楽」。「主な作曲家は、原始主義・新古典主義・音列主義と様々な作風を展開し20世紀の音楽に多大な影響を与えたとされるストラヴィンスキー(ロシア)や、”五つのピアノ曲”に完全に体系化したとされる十二音技法を確立したシェーンベルク、ケージなどということになります」

中 野「以上が、西洋音楽史の概要です」

中 野「この科目は私の好きな科目の筆頭でしたね。西洋音楽史担当の先生は学生を講義に引き込むことが凄く上手な先生でした」

中 野「例えば20世紀の西洋音楽に変革を起こしたフランスの音楽家エリック・サティーの話ですが、パリ音楽学院で学んでいたサーティーは教師から『怠け者の生徒』と酷評されると、ここでは『学ぶものがない』と、さっさと自主退学する話などで、学生の心を惹きつけ講義を進めていく。毎回、講義が面白くて楽しく学べました」

中 野「そのサティは西洋音楽の長調や短調などのドレミファソラシドの『調性音楽』の枠をはみ出してグレゴリオ聖歌で使われていた音階(教会旋法せんぽう)を初めてクラシック音楽に取り入れ、『無調音楽』の先駆けとなった」

中 野「それは今日のジャズやポップスに発展しました。また、『演奏を聞かないで、話をしてください』など変わった演奏会を催したりした。これがBGMや環境音楽というジャンルに発展。サティが生みの親だと言うことが分かりました」

中 野「西洋音楽は明治時代に日本に受け入れられ、西洋音楽の理論や技法を学びさまざまなジャンルを生み出し、日本の音楽は西洋音楽と融合して、現在ではポップスやロック、アニソンなど西洋に影響を与えています」

中 野「他方、古今東西、音声と音楽は異なるものですが、音声は音楽の一部として使われることがあります」

小 林「例えば、…..」

中 野「歌やラップなどは音声と音楽の融合です」

小 林「なるほど。こうして西洋音楽史についてお話をお伺いして、音楽は社会文化と密接に関連していることがわかりました」。「また、音楽は音楽理論や音楽様式などの規則に従って作られていることがわかりましたが、エリック・サティのように固定観念にとらわれずに、どんなに否定されようとも、自らが感じるままに表現する。それがやがて先駆けとなり文化となる。真の音楽芸術家だということも知りました」

中 野「学生の時はのめり込めない科目もありましたが、作編曲方や西洋音楽史に限らず大学での様々な学びが、ほうぼうで役に立っています」。「また、調べ物で、どのジャンルで何を調べたら良いのかという索引のような役割を果たしてくれていますね」。「現役時代には見えない学びの姿が社会に出てさまざまな姿を見せてくれています」

小 林「武蔵野音楽大学声楽コースでの学びで、特に印象に残る上位2曲を教えてください」

中 野「特に印象的だった曲目は、イタリアオペラ作曲家のピエトロ・マスカーニ作曲、作詞はピエトロ・マッツォーニによる“アヴェ・マリア”と、モーツァルト作曲の、”アヴェ・ヴェルム・コルプス”です」

小 林「それぞれ、どのような楽曲ですか」

中 野「マスカーニ作曲の“アヴェ・マリア”は、カヴァレリア・ルスティカーナの戯曲で主人公が浮気をした恋人に対する悲しみと怒りを歌う場面の曲をもとに、独立した楽曲として作曲されました」。「また、マッツォーニによってラテン語の”アヴェ・マリアの祈り”の歌詞をイタリア語に翻訳され、聖母マリアへの敬愛と信仰を歌った、美しい旋律で聴く人の心に深く沁みる楽曲です。今でも私にとって大切な楽曲の一つです」

中 野「モーツァルトの”アヴェ・ヴェルム・コルプス”は、モーツァルト晩年の傑作と称賛されています。歌詞はカトリックでの聖体賛美歌として有名な”アヴェ・ヴェルム・コルプス”と最初の3行が同じですが、あとの歌詞は割愛されています。私は、この46小節の静かで穏やかな曲調がたまらなく好きな、やはり大切な楽曲の一つです」

小 林「特に印象に残った科目を教えてください」

中 野「そうですね。週1回の専門科目の声楽と、それにピアノの演習授業です。これらは必ず課題が出て次の週にテストがある」

中 野「特にピアノはもともと深くやっていなかったので、在学中は終始苦しみました」

中 野「CZERNY(ツェルニー)40番練習曲、これは『熟練教程』と題され、幅広い技術と安定した速度が得られる30番で習得した演奏上の技術に、流暢な動きを加えるための練習曲とされています」。「指の迅速さや正確さを鍛え、技巧的な指の動きを養う練習曲なので本当に大変でした」

小 林「中野さんは、バットとグローブを、ピアノと譜面に持ち替えて、今日は右、明日は左で、課題曲をクリアして来た蛍雪の人ですからね」。「中野さんは、諦めずに粘り強くミッションを達成したのでしょうが、ツェルニー30番で中級者向けの練習曲、40番は中級者から上級者向けの練習曲と聞き及び驚愕していますよ」

中 野「先生に感謝すると共に、自分を自分で褒めてあげたいですよ」。「声楽なので、そこまで求められるとは思いませんでしたから、…..」

中 野「そうですね。声楽では胸郭を動かすのではなく、腹筋を使って横隔膜を上下させる腹式呼吸を使うことが多いと言われていますが、腹筋などを高校野球で培った体幹は大きな財産になりましたね」

中 野「お陰で声楽については、入試も入学してからもトップ評価で、楽しくて、暇さえあれば大学の図書館に通い、三大テノール(リリックテノール)のルチアーノ・パヴァロッティ、プラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラスの3人の”三大テノール世紀の競演1990”のDVDを繰り返し鑑賞していました」

中 野「その中で、パヴァロッティの最高音でも響き渡る声の出し方など、パヴァロッティが歌う口の開き方や舌の使い方、姿勢など、事細かく、記憶して時と場所を選ばずこんな感じかなと試行錯誤を重ねていましたね」

中 野「それとは裏腹に声楽の成績は。2年生になって急降下してしまいました」

小 林「え、急降下ですか」

中 野「『これではいけない、成績を上げなければ』と、歌い方を元に戻しては、はたまた『これでは将来がない、パヴァロッティの”誰も寝てはならぬ”(イタリア語)の声の出し方に的を絞り、是が非でも習得したい』と再チャレンジしてと、その繰り返しでしたね」

小 林「いわゆる、スランプに陥ったのですか」

中 野「はい、いつなんどきでも三大テノールのパヴァロッティの”誰も寝てはならぬ”が頭から離れなくなり、アルバイトなどをしていても少しの隙間が出ると口真似をしたり、声を出してみたり、苦悩の日々が続きました」

小 林「アルバイト中ですか」

中 野「当時、豚カツ屋さんでアルバイトしていたのですが、生肉を切りながら包丁で調子を取り、声は出せませんが、調理マスクの下では口パクで舌の使い方を意識しては、口を大きく開けたり、その口を横に開いたり、前に出したりなどして、少しの隙を見出しては大真面目でレッスンしていましたね」

小 林「トップ評価からさらに高みを目指そうとしたところが、奈落の底に落ちて、そこから這い上がれなくなった。その後の成績は」

中 野「そうですね、…..」

中 野「努力に努力を重ねたのですが、3年・4年と中の上でした」

小 林「武蔵野音楽大学の教育理念を覚えていますか」

中 野「教育方針として『音楽芸術の研鑽』と『人間形成』でした。「いまだに、その真っ直中にいます。私の場合は、一生ものだと思います」

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