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歌手・作曲家 中 野 成 将 氏(4)
なかの・しげまさ。1980年埼玉県生まれ(43歳)。武蔵野音楽大学音楽学部演奏学科声楽コース卒。2004年 GUNSHY(ガンシャイ)結成、2009年休止。2011年単身ニューヨークへ。The Wall Street Journalに2011年・2014年に記事が掲載される。2019年ハワイに移住、CD『Angel Eyes』をリリース。2021年帰国し音楽活動など精力的に活躍中。
【前回の概要】中野氏は、バンド『GUNSHY』の活動を開始する前の1年間を使って、自身が憧れるU2のルーツを追求するためアイルランド共和国へ旅行した。中野氏はヒッチハイクや徒歩を利用して国内を巡り、その旅を通じてケルト音楽や民族音楽、中世アイルランドの聖歌を復活させたアヌーナ合唱団などの文化にふれた。これらの経験がGUNSHYの音楽に影響を与えたと回顧する。バンドはロックとポップをジャンルとし、2004年に中野氏と幼馴染のRyuichiによって正式に結成された。バンド名『GUNSHY』は、中野氏がニュージーランドで見かけた映画の宣伝ビラからインスピレーションを得たもの。メンバーは主に兄妹で構成されており、ケルト音楽からの影響を受けたヴィオラの音色がバンドの特徴となっている。GUNSHYは2004年に渋谷のライブハウスでデビューし、その後様々な会場でライブ活動を展開した。2005年にはファーストアルバム『OCEANIC DEEP』をリリースした。このアルバムには”潮騒”を始め6曲が収録されている。中野氏はこのアルバムに、今年で第20回記念大会となる『マスターズ甲子園』の第2回大会に公式テーマソングとして選ばれた”ボールの行方”が、収録されていることを教えてくれた。このアルバムがマスコミの注目を集めるなど、GUNSHYは順調なスタートを切った。
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TOEICトータルスコア925点を取得
異彩の音楽家 中野成将氏
🟢CD盤12cmのもたらしたもの🟢
小林 一(以下 小林)「GUNSHYは2005年デビュー曲の”OCCEANIC DEEP”はCDアルバムで6曲、2006年の”花舞唄”はCDシングルで2曲、2008年”のGUNSHY III”はCDシングルで3曲。そして2008年の”SUN”が、なんとCDシングルで5曲でリリースされましたね。私の遠い記憶ではCDシングルは2曲でしたが」
中野 成将(以下 中野)「確かに昔のCDは、シングル盤が8cmで2曲程度、アルバム盤が12cmで15曲程度でしたが、もうGUNSHYの時代にはシングルもアルバムも基本的に12cmでした」。「アーティストやレーベル(CD制作販売会社)によって異なりますが、一般的にはシングル盤には1曲から5曲程度、アルバム盤は8曲から15曲程度が目安となっています」
小 林「そうなんですね。特にシングル盤の表現の幅が広がりましたね」
中 野「その通りですね。最近ではCDと音楽配信サービスが競合しています」。 「これにより、さらに表現の幅が広がる可能性があります」
小 林「遡れば日本においては1960年から1980年代はレコードが主流で、そしてカセットテープなどでしたから」
中 野「こうした音楽媒体の変化は、作詞・作曲・編曲家、歌手、ミュージシャン、音楽プロデューサーなどのアーチストの作品制作に大きな影響を与えました」
小 林「ガンシャイのシングルの”SUN”は5曲の構成ですから、最たるものだと思います。 シングル盤12cmCDでなければ、”SUN”は世に出ていなかった」
中 野「そうですね。単純なところでは”SUN”がシングル盤8cmCDでしたら2曲でしたので、”SUN”のような表現はできなかったわけですから。格段に収録数が増やせたことで、新たな表現方法の作品に取り組むことができましたね」
🟢”SUN”のCDジャケットの示唆🟢
小 林「2008年当時、私が”SUN”のCDジャケットを見て、丘の上からGUNSHYのメンバーが地平線を見つめている様子と、雲の切れ間から浮かび上がっている金色の『SAN』の文字が印象的でした。左斜め上には、雲から微かにお城らしきものが覗いています。 背表紙には、『SUN』 1.SUN、2.真夏の日の鼓動、3.DRIVE、4.幻風景、5.葉月とある。『ジャケットは、このラインアップなら燦然と輝く太陽だろう』と、失礼ですけど率直な感想でした」
中 野「私たちの作品をジャケットや背表紙まで真剣に見ていただき、評価をいただけることは、嬉しいことです。曲は如何でしたか」
小 林「当時は”DRIVE”と”葉月”はお気に入りで何回も聞きました」
中 野「気に入っていただいた曲があって嬉しいです。ありがとうございます」
小 林「今回、改めて曲を一通り聞いてみると、ジャケットはオープニングの日の出から、エンディングの日の入りまでを連想させる仕掛けだったのかと思い、自分が恥ずかしくなりました」
🟢”SUN”の物語の組曲🟢
小 林「一番カルチャーショックを受けたのは、”SUN”が物語のストーリーラインに沿った組曲だと気付いた時です。その後、私の頭の中では、恋愛ものやビジネスものなどのシーンが展開し、”SUN”の魅力に引き込まれました」
中 野「小林さんが特に気に入っているドラマ仕立ての楽しみ方を教えてください」
小 林「物語の主人公は男子大学生で、同級生の女子学生に対して友情から恋心が芽生えます。やがて、この恋心は抑えきれないものへと変わります。深夜2時、彼女からのメール、日曜日に一緒に海へドライブとあり有頂天なります。以外に、彼女は『私たちは最高の友達』と残酷な言葉を告げます。そう君は爽やかな笑顔の先輩が好き、現実は残酷な片恋。幻想の恋愛は呪縛の世界へ。そこから現実の世界に戻ろうと足掻き苦しむ、青春の苦悩。そんな自己から輝く青年時代の自分を取り戻そうと、やがて長いトンネルから抜け出て、かつての青年へ戻ろうと流れ星に誓います。そして、新しい世界へと旅立ちます。the end」
中 野「”SUN”を、そうした聴き方をいただいたのは、日本人では小林さんは初めてです」
🟢小林流 ”SUN”の組曲的聴き方🟢
中 野「ちょっと、待ってください。曲をかけますね」
GUNSHY ガンシャイ
SUN
SUN 作曲 RYUICHI-SHIGE 編曲 GUNSHY
小 林「1曲目のインストゥルメンタル”SUN”は、幕が上がり、暗闇からヴィオラの演奏で徐々に地平線が浮かび上がりネーブルブルーへ。そしてシンバルとドラム音で、空がロイヤルブルーから茜空のオレンジとピンクに染まり、夏の太陽が地平線から昇り、真っ青の抜けるような空に、真夏の太陽が燦々と輝いていくという雄大な情景が迫ってくる。(暗転)」
夏の日の鼓動 作詞・作曲 SHIGE 編曲 GUNSHY
小 林「2曲目の”夏の日の鼓動”は、このドラマの前説。(闇の中、スポットライトが前説者を照らす)一転して軽快なアップテンポの曲で、舞台は照りつける太陽の季節が訪れる。(明転)」
走り出す太陽の季節 何度数えたもう忘れた♬ 蜃気楼 シンキロウ 手を伸ばせばユラリユラリ♪ 両手を広げても足りない そんな気持ちが今足りない♬ 飛びたい 飛べない未完成この翼は♪ // ※ [夏の日少年の輝くあの瞳♬ 抱えきれない夢を求め走った♪ 今では誰もが忘れた遠い記憶♬ 鳴り止まない あの日の鼓動が今♪] // 輝く空の向こう側 何度見つめたもう忘れた♬ 深呼吸 シンコキュウ 呼び醒ませ眠れるパワー♪ 吹き付ける風を縫いながら 雨に濡れても構わない♬ 飛びたい 飛びたい この翼で何処まででも// ※繰り返し// 流れていく人の中で♪ 時に迷い戸惑い疑い♬ 何処にも行けなくなってしまったよ♪ 強く強くなりたい 誰かを信じられるように♬ 未完成の翼 大きく 広げて♪ // 夏の日少年の輝くあの瞳が♬ 僕を呼ぶよ限りない世界へと♪ 誰もが今では忘れた遠い記憶♬ 呼び醒ませあの日の鼓動を今
小 林「前説、終了(即暗転)」
DRIVE 作詞・作曲 SHIGE 編曲 GUNSHY
小 林「3曲目の”DRIVE(ドライブ)”は、暗転からリズミカルでハイテンポの曲。(明・暗クロス)」
「 今度の日曜日は一緒に海までドライブに行こう」♬ 夜中の2時に歌う携帯 君からのメール♪ なんだか胸がドキドキするな~♬ お菓子は500円までOK?♪ デジカメ 浮き輪 水中眼鏡♬ 甘い愛もカバンに詰め込めるだけ♪ 詰め込んでいくよ♬ // ※ [君が好きで好きで好きで♪ こんなにも胸が苦しいのに♬ 「私たちは最高の友達!」♪ だなんて 残酷な事を 言わないで言わないで言わないで♬ 実はとてもショックを受けてます♪ でも次の日曜日がとても楽しみで♬ また眠れやしないんだ♪] // 朝日がキレイ午前六時に♬ 君を迎えに家まで行くよ♪ 手を振る君がかすかに見える♬ はじける笑顔 太陽よりもずっと♪ まぶしく光るよ♬ // でも! ♪ 君が好きなあの先輩の♬ 爽やかな笑顔が僕は嫌い♬ 「どうすれば私を好きになってくれるのかな~?」♪ だなんて♬ 聞かないで聞かないで聞かないで♪ 楽しいドライブが台無しだよ♬ でも精一杯の爽やかな笑顔でアドバイスしてしまう♪ // 海を泳ぐイルカさんの様に♬ 自由に何処までも行っていいよ♪ きっときっときっと最後には♬ この僕が笑う!! // ※ 繰り返し
小 林「熱烈な恋心を抱く。(暗転)」
幻風景 作詞・作曲 SHIGE 編曲 GUNSHY
小 林「4曲目の”幻風景”は、立ち込める霧と時折さす光の世界。ギター音とドラムで、幻想的な風景に誘う。幻想に浸り呪縛への沼地に陥る主人公。幻想の世界から現実の世界へと揺れ動く苦悩。(幻想的光)」
※[瞳を閉じれば 灰色の空が何処までも伸びていくよ♬ また耳を塞いだら聞こえてくるはず♪ 夢をみたあの日の鼓動]♬ // 何処に行けばいい? 何をすればいい?♪ 答えなんて要らないけど♬ いつまでたってもこの窓辺からは♪ 飛び立っていく事ができないよ♬ // ※※[目を開けて耳を澄ませば♪ 道は続くよ想いのまま♬ 浮かんでは消える夢を描いて♪ // 幻風景 あなたがそこで笑っている♬ 幻風景あなたが笑ってる♪ ]// いつも求めてる 此処ではない何処か♬ きっと懐かしい香りがする♪ 夏の日の花火 凍てつく冬の空♬ 手を伸ばせばすぐ届きそうだ♪ // ※ ※繰り返し // あの日の歌が僕を呼ぶよ♬ 遠い空の向こう側できっとあなたが待っている♪ 手を伸ばしても届かないけど♬ 一歩一歩離れていく♪ 忘れられない風景が♬ 1秒1秒薄れていく♪ もう戻れない♬ あれは幻か♪ // あなたは今も笑ってる 幻風景♬ // ※ 繰り返し
小 林「大失恋、自己嫌悪に陥る。(暗転)」
葉月 作詞・作曲 SHIGE 編曲 GUNSHY
小 林「5曲目の”葉月”(8月)、それは偶像と悟り、実像を直視する。自暴自棄にならぬようにと、自縛から解放された彼女との決別の時を迎える。(やや明から茜色・夜空・明)」
どんよりと曇り続く 長い梅雨のトンネルを抜け♬ また盆が来る もう今は亡き♪ あの人も踊りだすよ♬ // 空へ 響いてく祭囃子の旋律が♪ それは美しい葉月の奇跡♬ // ※[ああ流れ星 ああ空の花♪ 心を焦がすあなたの笑顔♬ ああ美しい ああ泡沫の夢を見よう]♪ あなたにもう一度逢いたい♬ // 懐かしいあぜ道を行く♪ 赤い鳥居の階段のぼり♬ ひぐらしの音とせせらぎの音が♪ 茜雲へと謡うよ♬ // 空へ 響いてく泣きたくなる様な旋律が♪// それは美しい葉月の奇跡♬// ほら懐かしい僕を呼ぶ声 泣くなと今も励ましている♪ もう消えて行け 悲しみの日々♬ 夢を見たいあの日のように♪ ※ 繰り返し♬// 生まれた場所に還ろう♪// あなたは今何処でしょう?♬ あなたは今何処にいるのでしょう
小 林「あの時の青年の元へと立ち戻ろうと、流れ星に誓い、あの夏の日の頃の鼓動を呼び覚ます自分探しの旅に出る。(フェードアウト)幕が下がる」
中 野「素晴らしいです。ありがとうございます」
🟢アイデンティティの完成と休止🟢
小 林「”SUN”を小説に喩えるならば、私小説を無我夢中で一気に読破し、すごく楽しめたという心境ですね」
中 野「日本の小説作家で言えば、」
小 林「志賀直哉と太宰治の中間位置するような作家が、真情を披歴し自分の身を削っての『恋も恋愛も』、『片恋や破局も』、『自縄自縛』、『輝く少年を取り戻そうと飛び立つ』という、小説は『青春の門』ですね」
中 野「五木寛之の『青春の門』ですか」
小 林「そうです。その門は、ほろ苦い経験や呪縛など、一度は通り抜けるべき門でしょう。中野さんの歌詞は、その門をスムーズに通り抜けられない主人公が登場します。呪縛し苦悩するが、自暴自棄にならない主人公が常にいます。そうしたメッセージをサンウドに乗せて送り続けた。そしてGUNSHYの集大成としてのロック組曲”SUN”が生まれたことに感動しました」
中 野「GUNSHYの”SUN”を、小林ワールドで解釈していただき、感謝します。僕たちは、曲が世に出た後、リスナーやファンの方々の解釈によって様々な楽しみ方をしていただけることを願っています」
中 野「物事が上手くいかなくても、自暴自棄にならないで、新たな輝く希望に向かって飛びだってほしい。また、それが叶わなくても、新たな希望を抱き、いつかは夢を叶えてほしいというメッセージを大切にしてきましたので、大変嬉しいですね」
小 林「私の知る限り、日本におけるロックで歌詞付きドラマ性のある組曲はないですし、従ってこうした楽しみ方はできないと思います」「それをGUNSHYは先駆けて制作提供したことは賞賛すべきことだと思います」
中 野「小林さんは私達の”SUN”を組曲として捉え、楽しんでいただいたようですが、そのように感じたのはどうしてですか」
小 林「私は中学生の時に演劇部に所属しており、大学では芸能部を立ち上げたので、そうした視点で改めて聴き自然に”SUN”に誘われましたね」
中 野「それを聞いて嬉しいです。私自身、大学での学びオペラ(歌劇)が自然とそうした方向に導いたのだと思います」
小 林「”SUN”は、GUNSHYの音楽志向とアイデンティティが完成された形と言えるでしょう」
中 野「ありがとうございます」。「お褒めいただきましたが、現実は厳しく、望むようなプロダクションからのオファーもなく、2009年にGUNSHYを休止せざるを得ませんでした」
小 林「ロックにおいて、世界は分かりませんが、日本ではいまだに、そうした作品作りや楽しみ方は、珍しいかもしれませんね」。「それはエリック・サティーの影響でしょうか」。「こうした先駆的なロックが、いつかは一般的になるかもしれませんよ」
=次回『歌手・作曲家 中野 成将(5)』掲載=
(文・タイトル写真 小林 一)(カメラマン 藤原 稔)