第9回インタビューVisit 中 野  成 将 氏(6)

小 林「あの伝説のパフォーマーがいるステージ、セントラルパークですね」

中 野「取り敢えず、土曜日8時に指定場所に行ってみました。すると、なんとボイドさんがグループで歌っていました」。「それが、出会いの印象とは違ってハモリも良くて、凄く上手なんです」

中 野「演奏の切れ間でボイドに声をかけると、『よく来たね。君を私のファミリーに紹介するよ』と、小学生の男の子、女の子2人、中学生の女の子の4人と引き合わせてくれました」。                                                                                          「すると突然、これから演奏する譜面を渡され、『君も一緒に歌って』と、13時まで歌いました」

小 林「小休憩入れて、拘束時間約5時間ですね」

中 野「それが、最初はハーモニーで調子を取っていたんですが、途中からグループに入り込んで自分のボジションを見つけると、無我夢中になって苦痛ではなく、むしろ楽しめました」。「歌い終わると、ボイドから明日歌う曲目をもらい『8時スタートだよ』」と言われ解散しました」                                                                            

小 林「えー、オーディションに合格したわけですね」

中 野「次の日の日曜日、私が演奏予定の譜面を持って行くと、ボイドがわざわざ子供達を集めると、『これをご覧、中野は自分で譜面を用意してきたぞ。これがジャパニーズスタイルだ』と子供達を鼓舞していました」。「この日には、ボイドファミリーの高校生と成人の男子2人が加わり、それにクラッシックのバイオリン、チェロ、ベースの演奏者も加わり一緒に演奏を楽しみました」

小 林「収入はどのくらいありましたか」

              中 野「1時間、歌って、ギターケースに曜日や時間帯、それに天候などによって、まちまちですね」

小 林「厳しい世界ですね」

中 野「目標額は1日100ドルと決めて活動していましたが、ホーム付近での活動だけではなかなか厳しいものがありました」

中 野「土日はボイド・ファミリーと、活動していましたので、それに足りない分をホーム付近で頑張っていました」

中 野「ボイドや長男ヴァリアントには、ストリートシンガーとして生き抜くために、さまざまなアドバイスをもらいました」。                                                   「その中で、改札付近ではなくホームでパフォーマンスを行うよう勧められました。すると、お客さんの回転数と集客が断然違い、効率よくチップがいただけるようになり、目標額をクリアーできるようになりました」

小 林「その道に精通していると、やはり狙いどころが違いますね」

中 野「4月からは、エブラハムが高校を卒業したので、ボイド、ヴァリアント、エブラハムと私の4人で月曜日から金曜日まで、土・日はボイドファミリーと私の8人でコーラスを、それにクラッシックのバイオリン、チェロ、ベースの演奏者も加わり、満足のいく活動ができるようになりました」。                                                                                                  「ここから、先が見込める安定した生活ができるようになりました」。「それでも目標額には届かない日がありましたので、ホームでパフォーマンスを行ったりして目標額に到達するように努力をしていました」

小 林「ボイド氏の経歴は」

中 野「私が知り合う5年前は、デトロイトで複数の聖歌隊を設立運営していたと聞きました」

小 林「ボイド氏にスカウトされたことで、2011年12月に『THE WALL STREET JOURNAL』(ウォール・ストリート・ジャーナル)にStreet Singers Worth a Stop(立ち寄る価値があるストリートシンガー)として渡米して10ヶ月で国際的に影響力をもつ日刊経済新聞に取り上げられましたね 」                                             

中 野「そうです。驚きました」。「ただ、ボイドとファミリー、それに取り上げていただいた記者さんに感謝したいですね」

小 林「記事の冒頭で、『ストリートシンガーとして成功するのは難しいことです。しかし、ジョン・ボイドさん(48歳)は、子供たちと中野成将さん(31歳)と一緒に、ゴスペル(黒人の宗教音楽)、スピリチュアル(霊歌)、オペラ、ジャズを、天候が許す限りほぼ一年中歌っている。まさにストリートシンガーとして成功しているのだ』と掲載されています」

小 林「また、『私が感謝祭の朝に、セントラルパークを横断していた時に、4年間その場所で人々に奇跡的な美しさのセレナードを捧げている、ミスター・ボイドとその一団を発見した』とありますが」

                                                  中 野「記者さんが私たちを発見したのは、感謝祭なので11月の第4木曜日です。アメリカでは、この日は家族や友人が集まり、豊かな収穫と過去一年間の恵みに感謝する日とされています。私だけは正確には9か月ということですが」

小 林「この記者は、今まで『私はストリートミュージシャンが特に好きではありません』と、『私の思考は、彼らがそれほど優れているのなら、なぜカーネギホールで演奏していないのか?』。『誰も彼らに演奏を頼んでいない場合、これは物乞いと何が違うのか?』。                                                   『地下鉄で、どれほど神秘的にエル・コンドル・パサ(コンドルは飛んでいく)を演奏するかは気にしません。なぜなら、沈黙は金であるからです』と、記者はストリートミュージャンに対しての是非を論じることは、雄弁は銀で、沈黙は金として黙していた。その記者が、このセントラルパークでストリートシンガーを見かけて、何故に興味を示したのか」

中 野「はい、私が2月にボイドファミリーと合流して、1か月後の3月の出来事なのですが、公園当局はセントラルパークに静かなゾーンを設置し、その中にベセスダの噴水へ通じるミントンタイルアーケードも含まれていたんです。本当に驚き、唯々たじろぐばかりでした」

                                                   小 林「なるほど、そうゆうことですか。さらに中略で読み進んでいくと、『先週、彼らの歌を聴きに戻った時、彼らが”Amazing Grace(アメージング・グレイス)”を歌うと、それは噴水を渡って浮かび上がり、晩秋の太陽の中でくつろぐ観光客を包み、そして花嫁がウエディングドレスのポートレートを取っているテラスへと美しく飛翔していった』。またそれは『セサミストリートの歌のようでした』とありますね」

中 野「そうですね。私たちのハーモニーがそのように評価してくださったことは光栄の至りですね」。「また、セサミストリートのような歌だったとの評に対しては、多様な文化や背景を持つキャラクターを通じて、ニューヨーカーの多文化主義と包括性を促進することも意図している側面もあろうかと思います。ボイドファミリーはアフリカ系アメリカ人で、私は日本なので、そのように連想したのですね」

小 林「記事には『晩春(3月)、公園当局はセントラルパークに静かなゾーンを設置し、その中にべセズダ噴水も含まれている。その後、ボイドさんは数多くの召喚状を受け取ったと述べた。ボイドさんは「公園当局が競合するレクレーションの利益を調整しようとする試みは十分理解している。しかし、この場所を静かなゾーンに指定したことは公園当局が間違っていると思います」と懇願している』と掲載していますね」

                                                 中 野「はい。セントラルパークは、マンハッタン区の中心にある公園で、ニューヨーカーたちの憩いの場となっています」。「面積は約3.4k㎡。59丁目から110丁目に及び、劇場や動物園、オブジェ、池などが点在しているスケールの大きい公園です」。「私も、その中で唯一ベセスダの噴水へ通じるミントンタイルアーケードは、ストリートミュージャンにとっても、市民にとっても最高のステージだと確信しています」

小 林「ストリートミュージシャンが特に好きではありませんという記者が驚いたことに『音楽がなければ、特にボイドさんたちのようなクオリティの音楽がなければ、2007年の700万ドルの復元にも関わらず、地下道は風通しの良い、生気のない通路になります。しかし、歌で満たされると、それは建築家カルバート・ヴォーとジェイコブ・レイ・モールドのミントンタイルアーケードの美しい装飾の優雅なディテールを賞賛するために立ち止まるように誘うパフォーマンススペースに変身します』と読者に投げかけるていますね」   

中 野「そうですね、記事の『ボイドさんたちのようなクオリティーの音楽がなければ、地下道は風通しの良い、生気のない通路になります』とは最高の賛辞ですね」。「その上に、『ミントンタイルアーケードの美しい装飾の優雅なディテールを賞賛するために立ち止まるように誘うパフォーマンススペースに変身します』は、ニューヨーカーが誇る、19世紀の英国でヴィクトリアン・タイルとして華開いたミントンタイルを使用した。建築家カルバート・ヴォーとジェイコブ・レイ・モールドの芸術的建造物と融和している。また、それを生かす美しいハーモニーを奏でるということですから、これに勝る喜びはありません」。「言い方を変えれば、この場所こそがハーモニーを奏でさせてくれる最大の場所だと考えます」                      

小 林「なるほど」。「記事は『ボイドさんは、「彼(中野)と彼の子供たちがまともな生活水準を維持できるようにする」と言って、グループの財政については話すことをためらっていました。そして「お金では測定できない報酬があります。例えば、ファンと呼ばれる人々です」と答えました。するとヴァリアントが「彼(中野)が、”The  Prayer”(祈り)という曲を歌い出すと、彼の新鮮で自信に満ちたテナーボイスは女性たちを虜にします」と言いました』と掲載されていますね」

中 野「”The Prayer”は、1998年のアニメーション映画『クエスト・フォー・キャメロット』のサウンドトラックのために作成されました。この曲は、希望、導き、平和を願う内容で、深く感動的なメロディーが特徴です。また、この歌に限らずそうしたことを意識してパフォーマンスします」

小 林「記事は、ジョン・ヴァリアント(22歳)は中野に向かって『あなたの名前はサンタクロースです」と言いました』と記事が終わっています」                           

小 林「この記事は読者にセントラルパークがニューヨーカーの憩いの場として、ストリートミュージシャンの存在が都市の公共空間にどのような影響を与えるか、その上で異文化間の交流がどのように形成されるかについての洞察を与え、読者にこの公園のあり方について、さらなる思考を促したものだと受け取りました」

小 林「さて、この記事の後、セントラルパークの静かなゾーンの設置について、何か反響はありましたか」

中 野「『THE WALL STREET JOURNAL』の記者さんの投げかけた記事の後、晩春(3月)のルールーは撤廃され、ストリートミュージシャンたちは自由に音楽活動が出来るようになりました」

小 林「それは、アメリカらしい、ニューヨークらしい裁定の結末になりましたね」

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