第8回インタビューVisit 中 野  成 将 氏(5)

【前回の概要】

小 林「『未来に焦点を当てすぎた』というのは、GUNSHYを支えてくれた人々との関係が希薄になったということですね」

中 野「端的に言えば、そうなりますね」

小 林「その結果、GUNSHYは活動を休止せざるを得なくなりましたが、その後はどうなりましたか」

中 野「音楽制作会社で作曲や編曲を手がける中、リューイチと共に活動を続けていましたが、徐々に活動は停滞し、悶々とした日々を過ごしていました」

中 野「そんなある日、ミュージシャン仲間が、『アメリカへ行ってきたけど、10歳位の子がニューヨークのセントラルパークで物凄い演奏している』、『歌手で凄い奴がいた』など」。「伝説のような話が頭のなかに浮かんでは消え、消えては浮かび、徐々に『そうだ、ニューヨークに行こう』と感情が沸々と湧いてきました」

小 林「その他に、ニューヨークへ行く決意の背景には何がありましたか」

中 野「伝説の街、ニューヨークは多様な音楽ジャンルとアーティストにとって豊かな機会を提供していますから、そのニューヨークで自分の音楽を再考し、新たな刺激を受けたいと思ったからです」

小 林「それに、中野さんが中学生の時にビリー・ジョエルの、ものまねで歌うことに目覚めたと言う、ジョエルの『ニューヨーク52番地』に収録されていた『Honesty』(オネスティー)誕生の地ですからね」。「そうした意味でも、聖地での原点回帰ということですね」

中 野「私が小学校5年生で東京への転校後、バレーボールで共に汗を流したキャプテン、佐藤恭久君(以下、ゆっちゃん)からのメールが届きました」。「『GUNSHYのホームページを見たよ、そしてラジオも聴いた』とのことで、その連絡はなんとニューヨークからでした」

中 野「ゆっちゃんの消息は風の噂で聞いていましたが、彼がニューヨークにいるとは想像もしていませんでした」     「『1年後にニューヨークへ行こうと考えている』と返信すると、彼からは『大歓迎だよ。力になるよ』と、温かい歓迎の言葉が返ってきました」

中 野「彼がニューヨークの旅行会社に勤務していることを後で知り、運命的な巡り合わせに心が躍りました」

小 林「ゆっちゃんからどのようなサポートを受けましたか」

中 野「『1年間の滞在には適切なビザが必要』と教えてもらいました」。                 「B-2ビザでは滞在期間が限られていること、また、1年以上の長期滞在には英語スキルの証明が求められることも教えてくれました」

中 野「結局、『ESL(English as a Second Language=第二言語としての英語)学校で勉強するべき』とのアドバイスに従い、F-1ビザで学業に専念することにしました」。「初めの3ヶ月の滞在費用として30万円を支払い、さらに延長可能なプランを立てました」

小 林「日本人訛りのシンガーとして人気をさらう手法もありますが、シリアスなシンガーを目指すためには、まずはネイティブスピーカーに遜色ない発音と歌詞が理解できる能力が不可欠ですよね」。                                                                                                   「その上にプロとしての表現力が要求されるわけで、ゆっちゃんのアドバイスは的を射ていましたね」

中 野「まさにそうです。彼の経験からのアドバイスは非常に役立ちました」

小 林「他にどのような助けを受けましたか」

中 野「住居の面では、『最初は自宅に滞在することも可能』と提案してもらいました。ゆっちゃんとの再会が、ニューヨーク行きの決意を固めるきっかけとなりました」

小 林「ゆっちゃんとの再会で、ニューヨーク行きが具現化されたわけですね」

中 野「2011年2月、約12時間のフライト後、ジョン・F・ケネディ国際空港に足を踏み入れました」

小 林「ニューヨークの第一印象は」

中 野「寒さを感じつつも、『これがアメリカか』と心躍る思いでした」。「知らない街、出会い、物語への期待に胸が膨らみました」

小 林「まるで映画の開幕のようですね」

中 野「ゆっちゃんの迎えで、タクシーで彼の自宅へ」。「途中、ニューヨーク・メッツの球場を見て、改めてニューヨークに来た実感を噛みしめました」

中 野「翌日は、世界高級有名ブランド店がある五番街を散策し、自然と人間との対話がテーマのアメリカ自然史博物館でティラノサウルスなどの発掘された恐竜の化石などを見学しました」。「まさに多文化都市、ニューヨークの魅力を体感しました」

小 林「音楽の見聞は」

中 野「ゆっちゃんの提案で、ハーレムの『メモリアル・バプティスト教会』でゴスペルの礼拝に参加しました」

小 林「礼拝での信者が心から神に感謝し、心から神に捧げると言われる、本場のゴスペルは如何でしたか」

中 野「礼拝者が一緒に歌うのですが、あちらこちらからプロ並みの歌声が聞こえるんですよ」。「中にはプロ以上の人もちらほらいました。ソウルフルな歌に本当に感動しました」

小 林「本場のゴスペルは圧巻でしたね。それで、住まいは」

中 野「数日して、ゆっちゃんから知り合いの方が1ヶ月日本に帰るので、猫の面倒を見てくれる人を探していると話があり、その方の部屋を無料で借りれることになりました」。                                  「その後、イースト・リバーの対岸にあるクイーンズジャクソンハイツのメキシカンの街にあるシェアーハウスに移りました」

小林「食い扶持の確保は」

中 野「それがある日、地下鉄の中で突然ギターを持った若者が現れ、一曲歌い演奏が終わると、被っていた帽子を乗客に差し出し回り始める」。「すると、乗客の中には差し出された帽子の中に1ドル紙幣を入れる人たちがいたんです」。「その男性は、一通り回ると次の車両に消えていきました。これには驚きました」

小 林「当局からのお咎めはないんですね」

                                                  中 野「これがニューヨーク文化かって思い知らされました」。「そうだ、これで食いつなげるかもしれないと思った瞬間でもありました」。「それで、あれこれ物色して、42ストリートのポート オーソリティ・バス・ターミナルには、通勤や中・長距離の約20のバスラインが乗り入れ発着しています」。「その地下に人々が地下鉄A C E  Canal St 線に繋がる地下通路に、吸い込まれるように入っていくのを目の当たりにしました」

中 野「地下に降りて確認して、ストリートパフォーマンス挑戦の場所を、ポートオーソリティ・バス・ターミナルの、地下鉄A C E  Canal St 線の改札付近と決めました」

小 林「どんな曲を歌っていたんですか」                               

中 野「シューベルトのアヴェマリア、ネッスンドルマ、アメージング・グレスの3曲です」

小 林「反響はどうでしたか」

                                                   中 野「初日、心配でしたがギターの弾き語りで、1時間程でギターケースに1ドル札が約20枚入っていました」。「その日によって、収入はばらつきがありますが、当初としては予想以上に収入を得ることができていました」

小 林「十二分に手応えを感じとった訳ですね」

中 野「そこで2週間ぐらいして、いつもの様に改札付近でソロで歌っていました」。「何か、いつもと様子が変だと、あたりを見回すと身長185cmぐらいで、お腹がこんもり出ていて、牛乳瓶の底の様なメガネをかけた黒人男性が、こちらを凝視している」                                                   「目を合わせないように平常心を装うって歌い切ると、私に急接近してきて、私の顔に顔を近づけながら、唸るような声で『You have a beautiful voice!』と声を掛けられました」

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