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歌手・作曲家 中 野 成 将 氏(5)
なかの・しげまさ。1980年埼玉県生まれ(43歳)。武蔵野音楽大学音楽学部演奏学科声楽コース卒。2004年 GUNSHY(ガンシャイ)結成、2009年休止。2011年単身ニューヨークへ。The Wall Street Journalに2011年・2014年に記事が掲載される。2019年ハワイに移住、CD『Angel Eyes』をリリース。2021年帰国し音楽活動など精力的に活躍中。
【前回の概要】
音楽グループGUNSHYは2005年に、デビュー曲「OCEANIC DEEP」を含むいくつかの曲をリリースした。これらの楽曲は、以前の8cm CDシングルが2曲だったのに対し、12cm CDでより多くの曲を収録する時代の変化を反映している。12cm CDでは、シングルに最大5曲、アルバムに8~15曲が含まれるのが一般的である。GUNSHYはこの拡張されたシングルCDの形式を活用し、4枚目のCD「SUN」を完成させた。「SUN」は物語のストーリーラインに沿った組曲で、恋愛ドラマを想起させる。このアルバムは、主人公の青春の苦悩から新しい世界への旅立ちまでを恋愛仕立てで描いている。それはリスナーに、何事においても「決して自暴自棄にならぬように、夢に向かっていく少年の輝く瞳を取り戻そう」と投げ掛けている。「SUN」はGUNSHYの音楽志向とアイデンティティの完成を示す作品と言える。中野は「現実は厳しく、GUNSHYは2009年に休止せざるを得なかった」と振り返る。その斬新さ故に、この作品は一般には浸透しなかった。小林は「エリック・サティーにあやかり、この先駆的なロックがいつかは一般的になるかもしれない」と結論づけた。
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異彩の音楽家 中野成将氏
🟢ニューヨーク旅立ちの決断🟢
GUNSHY ガンシャイ 曲 花舞唄 作詞作曲 SHIGE 編曲 GUNSHY
幾つも 詩を唄ったね 花ビラに想いを乗せて ♪ やがて来る永遠の別れに気付けずに ♬ 振り向かず 空へ消えていく ♪ あなたの その手を掴めなかった ♬// あなたと歩いた桜並木は ♪ 今年も綺麗だよ 悲しいくらい ♬// 散る花が風に舞い ♪ 春に別れを告げる頃 ♬ あなたの事ばかりが浮かぶ ♪ 聴こえるよ ほらあの唄が ♬// あの日のあなたの笑顔 ♪ いつまでも忘れはしない ♬ 胸の痛みがまだ消えていないけど ♪ 花曇の空 向こうからあなたが ♬ きっと見つめてる 信じてるよ ♪// あなたと歩いた桜並木を これから独りで 歩いていくよ ♪ 散る花が風に舞い ♪ 春と別れを惜しむ頃 ♬ あなたの事ばかりが浮かぶ ♪ 汽車の窓から見る空に ♬// いつまでも いつまでも ♪ あなたの美しい唄声が ♬ 僕の胸に響いているよ ♪ 季節が巡る その度に ♬// さよなら さよなら ♪ 美しい想い出空を舞い ♬ 手を振りながら うすれていく ♪ でも忘れない あなたの事を ♬//
小林一(以下、小林)「私の見解ですが、『SUN』はGUNSHYの音楽的志向とアイデンティティを確立しつつも、ファンやリスナーとの距離が生じてしまいました」。「この事態の原因は何だと考えますか」
中野成将(以下、中野)「深く反省しています。私たちは未来に焦点を当てすぎ、結果として支持者やファンをないがしろにしてしまったと感じています」。「これが主要な原因です。成長過程で、もっと地道な活動を強化すべきだったと今になって思います」
小 林「『未来に焦点を当てすぎた』というのは、GUNSHYを支えてくれた人々との関係が希薄になったということですね」
中 野「端的に言えば、そうなりますね」
小 林「その結果、GUNSHYは活動を休止せざるを得なくなりましたが、その後はどうなりましたか」
中 野「音楽制作会社で作曲や編曲を手がける中、リューイチと共に活動を続けていましたが、徐々に活動は停滞し、悶々とした日々を過ごしていました」
中 野「そんなある日、ミュージシャン仲間が、『アメリカへ行ってきたけど、10歳位の子がニューヨークのセントラルパークで物凄い演奏している』、『歌手で凄い奴がいた』など」。「伝説のような話が頭のなかに浮かんでは消え、消えては浮かび、徐々に『そうだ、ニューヨークに行こう』と感情が沸々と湧いてきました」
小 林「その他に、ニューヨークへ行く決意の背景には何がありましたか」
中 野「伝説の街、ニューヨークは多様な音楽ジャンルとアーティストにとって豊かな機会を提供していますから、そのニューヨークで自分の音楽を再考し、新たな刺激を受けたいと思ったからです」
小 林「それに、中野さんが中学生の時にビリー・ジョエルの、ものまねで歌うことに目覚めたと言う、ジョエルの『ニューヨーク52番地』に収録されていた『Honesty』(オネスティー)誕生の地ですからね」。「そうした意味でも、聖地での原点回帰ということですね」
🟢ニューヨーク渡航準備🟢
GUNSHY ガンシャイ 曲 Mysterious Train 作詞・作曲 SHIGE 編曲 GUNSHY
夜の静寂を縫って 汽車が走って来た ♬ 別れの時が迫る 汽車のベルが聴こえる ♪ あなたは乗ってしまう 優しく微笑みながら ♬ 涙で滲んでしまう 古ぼけた汽関車が ♪// あなたを乗せて 夜空を翔けていく ♬ 手を振り見送る 愛する人を背に ♪ もう戻れない 終点のない宇宙 ♬ あなたは何処へ行くのでしょう ♪// 淡く光を放ち 音も無く汽車が行く ♬ 窓をそっと開けて 手を外に伸ばしてみる ♪ 冷たい夜の風は 激しく吹きつけるのに ♬ 何も感じはしない 伸ばした手が薄れていく ♪// 私を乗せて 夜空を翔けてく ♬ 涙と星屑を 美しく結んで ♪ もう戻れない 終点のない宇宙 ♬ どこかでまたきっと逢える ♪// 蒼い月 蒼い雲 ♬ 汽笛の音が空へ響く ♪ 静かな 静かな ♬ 森を抜け谷を縫って ♪ 叫びの様な 祈りの様な ♬ 遥かな追憶の果てへ ♪ I miss You 行かないで ♬// 独り旅立ち 夜空を翔けてく ♪ 少しずつ離れて行く 涙で滲んでく ♬ もう戻らない 思い出のあなたは ♪ 何処かで僕をきっと待ってる ♬ 戻れない宇宙を 列車が美しく進む♪//
中 野「私が小学校5年生で東京への転校後、バレーボールで共に汗を流したキャプテン、佐藤恭久君(以下、ゆっちゃん)からのメールが届きました」。「『GUNSHYのホームページを見たよ、そしてラジオも聴いた』とのことで、その連絡はなんとニューヨークからでした」
中 野「ゆっちゃんの消息は風の噂で聞いていましたが、彼がニューヨークにいるとは想像もしていませんでした」 「『1年後にニューヨークへ行こうと考えている』と返信すると、彼からは『大歓迎だよ。力になるよ』と、温かい歓迎の言葉が返ってきました」
中 野「彼がニューヨークの旅行会社に勤務していることを後で知り、運命的な巡り合わせに心が躍りました」
小 林「ゆっちゃんからどのようなサポートを受けましたか」
中 野「『1年間の滞在には適切なビザが必要』と教えてもらいました」。 「B-2ビザでは滞在期間が限られていること、また、1年以上の長期滞在には英語スキルの証明が求められることも教えてくれました」
中 野「結局、『ESL(English as a Second Language=第二言語としての英語)学校で勉強するべき』とのアドバイスに従い、F-1ビザで学業に専念することにしました」。「初めの3ヶ月の滞在費用として30万円を支払い、さらに延長可能なプランを立てました」
小 林「日本人訛りのシンガーとして人気をさらう手法もありますが、シリアスなシンガーを目指すためには、まずはネイティブスピーカーに遜色ない発音と歌詞が理解できる能力が不可欠ですよね」。 「その上にプロとしての表現力が要求されるわけで、ゆっちゃんのアドバイスは的を射ていましたね」
中 野「まさにそうです。彼の経験からのアドバイスは非常に役立ちました」
小 林「他にどのような助けを受けましたか」
中 野「住居の面では、『最初は自宅に滞在することも可能』と提案してもらいました。ゆっちゃんとの再会が、ニューヨーク行きの決意を固めるきっかけとなりました」
小 林「ゆっちゃんとの再会で、ニューヨーク行きが具現化されたわけですね」
🟢憧れのニューヨークへの旅立ち🟢
GUNSHY ガンシャイ 曲 Snow waltz 作詞・作曲 SHIGE 編曲 GUNSHY
白雪が舞い降り 街に魔法をかけ♬ キラメク光星屑のよう ♪ポケットに手を入れて うつむき行く旅人 ♪ 心の闇を彷徨ってる ♬ // 何を求めるの? 何が不満なの? ♪ 自分自身に問いかけても ♬ いつも答えなんてない だから旅を続ける ♬ ここではない何処かへ ♪// フと立ち止まり見上げてみる 消えそうな希望を探し ♬// 空を渡り 闇を越えて ♪ 何処まで行けば いいのでしょう ♬ 終わりなど無いこの旅を ♪ 独り彷徨う ♬// 街は笑顔であふれ 手と手を繋いで歩く ♪ 幸せな時 流星の様 ♬ ボロボロのマント 擦り切れた黒いブーツ ♪ 旅人は今も 一人きり ♬// つまずき倒れた雪の上で 眠ってしまおうか♪// 空を渡り 闇を越えて ♪ 何処まで行けば いいのでしょう ♬ 終わりなど無いこの旅を ♪ 独り今も彷徨い ♬// 谷の底へ 闇の中へ ♪ 何処までも深く 連れて行って ♬ 蒼くざわめく月の光 ♪ 届かぬ様に ♬//
中 野「2011年2月、約12時間のフライト後、ジョン・F・ケネディ国際空港に足を踏み入れました」
小 林「ニューヨークの第一印象は」
中 野「寒さを感じつつも、『これがアメリカか』と心躍る思いでした」。「知らない街、出会い、物語への期待に胸が膨らみました」
小 林「まるで映画の開幕のようですね」
中 野「ゆっちゃんの迎えで、タクシーで彼の自宅へ」。「途中、ニューヨーク・メッツの球場を見て、改めてニューヨークに来た実感を噛みしめました」
中 野「翌日は、世界高級有名ブランド店がある五番街を散策し、自然と人間との対話がテーマのアメリカ自然史博物館でティラノサウルスなどの発掘された恐竜の化石などを見学しました」。「まさに多文化都市、ニューヨークの魅力を体感しました」
小 林「音楽の見聞は」
中 野「ゆっちゃんの提案で、ハーレムの『メモリアル・バプティスト教会』でゴスペルの礼拝に参加しました」
小 林「礼拝での信者が心から神に感謝し、心から神に捧げると言われる、本場のゴスペルは如何でしたか」
中 野「礼拝者が一緒に歌うのですが、あちらこちらからプロ並みの歌声が聞こえるんですよ」。「中にはプロ以上の人もちらほらいました。ソウルフルな歌に本当に感動しました」
小 林「本場のゴスペルは圧巻でしたね。それで、住まいは」
中 野「数日して、ゆっちゃんから知り合いの方が1ヶ月日本に帰るので、猫の面倒を見てくれる人を探していると話があり、その方の部屋を無料で借りれることになりました」。 「その後、イースト・リバーの対岸にあるクイーンズジャクソンハイツのメキシカンの街にあるシェアーハウスに移りました」
小林「食い扶持の確保は」
中 野「それがある日、地下鉄の中で突然ギターを持った若者が現れ、一曲歌い演奏が終わると、被っていた帽子を乗客に差し出し回り始める」。「すると、乗客の中には差し出された帽子の中に1ドル紙幣を入れる人たちがいたんです」。「その男性は、一通り回ると次の車両に消えていきました。これには驚きました」
小 林「当局からのお咎めはないんですね」
中 野「これがニューヨーク文化かって思い知らされました」。「そうだ、これで食いつなげるかもしれないと思った瞬間でもありました」。「それで、あれこれ物色して、42ストリートのポート オーソリティ・バス・ターミナルには、通勤や中・長距離の約20のバスラインが乗り入れ発着しています」。「その地下に人々が地下鉄A C E Canal St 線に繋がる地下通路に、吸い込まれるように入っていくのを目の当たりにしました」
中 野「地下に降りて確認して、ストリートパフォーマンス挑戦の場所を、ポートオーソリティ・バス・ターミナルの、地下鉄A C E Canal St 線の改札付近と決めました」
小 林「どんな曲を歌っていたんですか」
中 野「シューベルトのアヴェマリア、ネッスンドルマ、アメージング・グレスの3曲です」
小 林「反響はどうでしたか」
中 野「初日、心配でしたがギターの弾き語りで、1時間程でギターケースに1ドル札が約20枚入っていました」。「その日によって、収入はばらつきがありますが、当初としては予想以上に収入を得ることができていました」
小 林「十二分に手応えを感じとった訳ですね」
中 野「そこで2週間ぐらいして、いつもの様に改札付近でソロで歌っていました」。「何か、いつもと様子が変だと、あたりを見回すと身長185cmぐらいで、お腹がこんもり出ていて、牛乳瓶の底の様なメガネをかけた黒人男性が、こちらを凝視している」 「目を合わせないように平常心を装うって歌い切ると、私に急接近してきて、私の顔に顔を近づけながら、唸るような声で『You have a beautiful voice!』と声を掛けられました」
GUNSHY ガンシャイ 時の河 作詞作曲 SHIGE 編曲GUSHY
目眩く時 瞬きの間に ♬ 幾億の想いは河へ流れ ♪ 海より深く空より高い ♬ 渦巻く僕らの愛や憎しみ ♪// 時の流れる 雄大な河 ♬ 柔らかに激しく果てしなく ♪ 数え切れない喜び悲しみ ♬ 流木の様 ただ今日を 流れる ♪// 寄せては返す幸せも ♬ またいつかは 晴れ渡る苦しみも ♪ 枯れゆく木々も 散りゆく花も ♬ 季節が巡り また命を燃やす ♪// 時の流れる雄大な河 ♬ 戻ることのない 巨大なうねりに揉まれ ♪// 数え切れない出逢いも別れも ♬ 流木の様 ただ今日を流れる ♪// 全てが流れる 雄大な河 ♬ 渇く事のない巨大なウネリに揉まれ ♪// 数え切れない喜び悲しみも ♬ 雲ひとつない空を行く ♪// この河 ♬//
=次回『歌手・作曲家 中野 成将(6)』掲載=
(文・タイトル写真 小林 一)(カメラマン 藤原 稔)